日本縦断ブルベを完走しました。鹿児島県桜島ー佐多岬から北海道宗谷岬まで2700km。国内ブルベではおそらく最長、世界でもこれを超える距離は今年一つしかありません。
- 走行データ
- 走行計画のポイント
- ハイライト(1)スタート〜豊岡 九州・瀬戸内区間998km
- ハイライト(2)城崎〜函館 日本海区間1150km
- ハイライト(3)函館〜宗谷岬 北海道区間632km
- 最後に
走行データ
- 認定距離2700km
- 制限時間324時間(13.5日)
- 認定申請時間317時間45分(13日5時間45分)
- 実走行時間124時間38分(グロス22.5km)
- 獲得標高14630m
走行時間よりも休憩時間のほうが長い珍しいブルベになりました。
走行計画のポイント
これまでの自分の最長ブルベは1200km。その倍以上の距離の難しさが想像がつかなかったため、完走を第一に安全に計画を組みました。
制限時間を一杯に使う
このブルベは2400kmを超えるためRMの規定により制限時間が一日200kmペース。PBP1200kmは90時間、同時開催の日本縦断ハーフは112時間30分なので、日本縦断の324時間はかなり余裕があります。自分は200kmのブルベは10-11時間で走れるので、時間を一杯に使い毎日しっかり回復する計画に。さらに途中に回復日を入れ、また後半ほど余裕をもたせる計画にしました。
- Day1: 桜島ー宮崎 272km
- Day2: 宮崎ー松山 232km
- Day3: 松山ー倉敷 208km
- Day4: 倉敷ー豊岡 218km
- Day5: 豊岡ー敦賀 222km
- Day6: 敦賀ー金沢 152km
- Day7: 金沢ー柏崎 212km
- Day8: 柏崎ー酒田 247km
- Day9: 酒田ー能代 165km
- Day10: 能代ー函館 153km
- Day11: 函館ー室蘭 185km
- Day12: 室蘭ー滝川 183km
- Day13: 滝川ー天塩 134km
- Day14: 天塩ー宗谷岬 129km
Day5までで1152km走り、150km貯金します。Day6は回復日で短め。Day7,8で貯金、Day9,10も回復日。10日目北海道上陸時に2081km, 81kmの貯金とし、最後の4日は余裕をもたせて計画を組みました。前半大きなトラブルがあっても、これだけバッファがあれば取り返せます。
ウェアの工夫
スタートの鹿児島の昼とゴールの稚内の夜では気温に25度も差があります。また4月は昼夜でも温度差が。
考えた末、ファイントラックのレイヤリングで対応することにしました。上はスカイトレイルジャケット、ドライレイヤー、メリノスピンライトの3層。下は暖かめのビブにレッグカバー。さらに秋田以北の寒さに備え、ドライレイヤーのタイツと、ポリゴン2ULのベストを、能代に送っておくことにします。
ファイントラックはサイクルウェアに比べて圧倒的に速く乾き温度調整もしやすいので、SR600など過酷なブルベでは標準ウェアにしています。
装備の工夫点
フリップ式DHバーで負荷分散。シューズはSPD。ライトはRN1500を2本。いざというときにスマホやサイコンを充電できるところがありがたいところ。他、Edge 830、修理ツール、医薬品、充電ケーブルなどに、疲労回復が肝なので、ビタミンC・B、VESPA HYPER、アミノバイタル。これらをAPIDURA EDPEDITION 17Lで携行しました。
ハイライト(1)スタート〜豊岡 九州・瀬戸内区間998km
最初の1000kmは、九州・瀬戸内の風景と歴史ある町並みを走る変化に富んだ区間でした。
前日鹿児島空港に着き、自転車を組み、空港のヤマトからシーコンを稚内に送ります。「なるべくゆっくり送ってください」とお願いすると、陸送にしてくれました。
4/29 6:00に桜島をスタート。いきなり暴風雨に襲われ佐多岬への道はかなり苦労しました。PCの観光案内所には日本本土四極の地図があり、この先の道のりに身が引き締まります。
2週間前のSR600紀伊山地リバースの疲れか、少し膝に違和感が。踏み込まず回し、膝をほぐしながら走ります。佐多岬折り返し後は雨も上がり一安心。道の駅根占で百名山開聞岳を望みつつ海鮮丼で一息いれます。
大隅半島から日南海岸のアップダウンを抜けた後はフェニックスライン。夜のため景色は見えませんが快調に走り、青島の通過チェックを経てDay1ゴール宮崎に2100着。
Day2は170km先の臼杵港発1540のフェリーに乗るため、400に出発。予定の便を逃すと大きなタイムロスなので緊張感のある一日です。前日と真逆の北西から拭き続ける風の中、長い宮崎北上と臼杵の山越えは、精神的にきつかったところ。日本縦断はずっと一方向なので風向きの影響が大きく、この後も苦しんだり助けられたりでした。
予定のフェリーで八幡浜に渡り、今年何度目かの夕焼けこやけラインからPC下灘駅を通過。
Day2ゴール松山に21時過ぎに到着、鯛めしを。
松山から姫路は今回一番の観光区間。Day3はしまなみ海道、鞆の浦、倉敷美観地区。Day4は備前焼の街、播磨シーサイドロード、姫路城と走ります。
姫路城の脇を通り播但線沿いに中国山地へ。ここで積乱雲に遭遇、豪雨と共に気温が20度超から6度まで低下、ヒヤッとします。なんとか中国山地を越え、Day4ゴールのカバンの街豊岡には20時着、最初の1000kmが終了です。
ハイライト(2)城崎〜函館 日本海区間1150km
ひたすら日本海岸を北上する区間。きつく退屈な1000km超を覚悟していましたが、予想外に美しい景色の連続でした。
京丹後半島はサイクリストがたくさん。農家カフェで激励してくれました。
天橋立は観光客で大渋滞していたのでスルー、若狭湾沿いを走り20時にDay5ゴール敦賀着。
Day6は150kmのみの回復日。前日までかなり疲れが溜まっていたので良いタイミングでした。8時にリスタート、越前海岸から金沢を目指します。
越前海岸は海鮮のお店だらけ。魚は消化が良くないのでロングライド中は普段避けるのですが、やはりここは食べておくことにします。なんとこの食事中にキューシートを見ていて、越前海岸の通過チェックをスルーしてたことを発見。10km戻ります。本当に危ういところでした。
三国からあわら温泉を抜け、加賀のあたりで目の前に立山連峰が現れたときは感動。
Day6ゴール金沢に1700に着。サウナと食事、睡眠で回復します。
さすがにお尻が痛くなってきました。打撲というより擦れ。シャモアクリームでは追いつきません。10cm四方の絆創膏をサドルと接する尾骨のあたりに貼ると、随分楽になりました。
翌朝は700にリスタート。PC2の富山を経て2日300kmに渡る新潟縦断に向かいます。
Day7ゴールの柏崎には20時過ぎに着。翌朝700にリスタートし新潟の残り半分を走ります。奇岩群で有名な笹川流れは綺麗でしたが、吹きすさぶ海風の中グロス15kmがやっとの70km。日本海を心から恨みました。
Day8ゴール酒田に22時着。中盤の2日続けて200km超に疲労が積み上がりますが、残りの日程は毎日200km以下、気持ちを入れ直します。
Day9は8時にリスタート。
Day9ゴールの能代には16時着、ここでゆっくり回復。翌朝7時リスタートしいよいよ青函越えを目指します。青森区間は天気にも恵まれ、ここまでの2000kmの疲れを忘れるほど綺麗でした。
追い風に恵まれ、新青森のPCに予定より1時間早く1600着。輪行準備をして新幹線に駆け込み、青函トンネルを越えて、ついに函館駅着。これで山場の日本海区間を予定通り終了、気持ちの中でゴールが見えてきました。夜は狙っていたイカを。
ハイライト(3)函館〜宗谷岬 北海道区間632km
残りは600km強を4日。計画では楽勝のはずでしたが、最後まで走り切る意志を試される区間でした。
函館ではまず朝市。
大沼公園から噴火湾海岸沿いの国道に出た途端北西からの強烈な逆風。湾に沿って走行方向が変わるまで50km、ひたすら耐えます。
かっての交通の要衝長万部。1950年から続く名物弁当「かにめし」で補給。
豊浦町の30km500mアップのアップダウン区間を越え、噴火湾の夕日を右に見つつ南下し、Day11ゴールのPC室蘭に1900着。ここでは室蘭で1950年から続く一平本店でやきとり(豚)からし味。
Day12、室蘭から苫小牧の単調な国道と苫小牧市街の信号峠でモチベーション下げられたところに、苫小牧から千歳の国道が罰ゲームなみにきつかった。路肩が狭くスパイクで削られたアスファルトが分厚く浮いており、その横を大型トレーラーが次々に通ります。
千歳から国道を離れるとようやく北海道らしい景色が広がります。広大な畑の中の一軒家カフェジェラテリアミルティーロのブルーベリージェラートが厳しかった区間の最高のご褒美でした。
Day12ゴールの滝川には19時着。残り1日半で260km、ゴールが完全に射程に入り、「ようやく終わり」と「もう終わり?」の2つの感情が入り混じってきます。ここでは松尾ジンギスカンの本店で補給。
Day13は134km走って天塩まで、留萌からオロロンライン。ゴールはもう目の前ですが、天塩の温泉と夕日狙いで一泊入れます。
天塩温泉夕映に16時着。温泉に入り、夕日を眺め、宿で食事を取り、最終日のウィニングランに備えます。
最終日。残りは129km、制限時間は18時。730に天塩を出発、原野と牧場の中、車もほとんどいない直線道路を北上します。風は軽い追い風ボーナス、もうカウントダウン。
稚内の空港を越えて海沿いの道に出ると、ついに宗谷岬への看板が!
最後の20kmは、長い長い旅の終わりを惜しみながら、あっという間でした。
最後に
今振り返っても、あっと言う間の、夢のような13日半のライドでした。ゴールの際は、全力を出し切ったという達成感よりも、毎日走ることだけを考える日々が終わる残念さの方が大きかったかも。天候に恵まれたことと、事前に綿密に走行計画を組めたこと(宿泊計画は何度も練り直しました)、そして制限時間を一杯に使えるだけの休みを取れたことが大きかったと思います。
このブルベが最初にエントリーを受け付け始めたときにはエントリー峠を越えられず一度あきらめざるを得ませんでしたが、コロナの影響で新しいルールになり追加エントリーが作られたことで、走る機会を得ることができました。
そしてこの13日半を通じて、たくさんの走りたい日本の道が増えました。
多くの幸運のおかげの、素晴らしい13日半でした。
また次の機会があれば走ります。